アイコのまんが絵日記 

社会復帰して10年目の統合失調症患者の思い出や日々の戯言を漫画やイラストで表現するブログです。

【父からの手紙】好きなように生きなさい。真面目さだけをとりえに生きた私の人生は馬鹿みたいだったよ。

 

今週のお題「おとうさん」

そういえば昨日は父の日だったのを思い出したので、昔、父からもらった手紙の話をしようと思う。
 
かつて私は漫画家を目指して上京したものの、生活するだけで精一杯で、ろくに漫画をかけない日々が続いていたのだが、それでも故郷である沖縄に帰らなかったのは意地になっていたからだった。派遣で頑張って月25万稼いでも、母は「派遣なんてとんでもない」と責めてくるので、辛かった。短大を中退した私に東京で正社員になる道など遠く閉ざされていたのに、母は頻繁に連絡してきては私を責めるのだった。
 
反対に父は電話してくることはなかった。20歳を超えたら親の責任は果たしているので、野垂れ死んでも知ったことではない。それが父の信条だった。だから、20歳超えた私が沖縄に戻ってこなかろうと、どんな仕事をしようと、はたまた本当に野垂れ死んでも、知ったことではないのだろうと思っていた。
 
そんなある日、一通の手紙が私の元に届いた。差出人は父だった。
 
一枚の紙に手書きで、進路指導をしているが辞める生徒は辞めていくとか(父は高校教師である。)つらつら書いてあったが、鮮明に覚えているのが、
「好きなように生きなさい。
真面目さだけをとりえに生きた私の人生は馬鹿みたいだったよ。」
という一文だった。
 
私は声を上げて泣いた。
寡黙な父が子どもに、私という人間に、初めて弱音を吐いた瞬間だったからだ。
 
泣いて泣いて泣いて、返事を書こうとペンを手にしても震えて文字にならず、私はとうとう返事を出さなかった。
 
親の愛とはなんだろう?
過保護な母と放任主義の父の間で育ち、東京という場所に来たのも、夢のためというのは半分くらいのもので、家族から距離を取りたかったのだ。
 
しかし、父も母も私を愛してくれていたのは疑いようがなく、なんというか恐れ多いが、不器用な人たちなのだろうなと思う。
 
幼い頃から、父は過剰に私の絵を褒めてくれた。私の「絵が好き」というアイデンティティはそこから育っていったものだ。
母は、一度も私の絵を褒めることはなかったのだけど、金銭面では過剰なくらい応援してくれた。
 
東京で、統合失調症を発症し、少しづつ働けなくなって、お金がなくなっていって、家賃が払えないとなったときに、私はいつかの「野垂れ死んでもかまわない」という父の言葉通りに野垂れ死んでしまおうとしたけれど、本当におかしくなってしまって、警察に捕まって、姉に保護されて、強制的に入院し、今に至る。
 
あれから10年以上たったけれど、父はあの日の手紙を覚えているだろうか。
いつかあの手紙の返事を書こうと思いつつ、やはりなんて返せばいいか分からない私なのだった。
 
とりあえず、
「好きに生きます。
なんのとりえもない私だけれど、後悔だけはしない。」
とでも書こうかな。
 
近くて遠い未来に。